CM間引きのチェックが全国に広げられないのは、著作権の壁のせいだというが

執筆:97年8月中旬


 在京のキー局やラジオ局では、ビデオ・リサーチによる「CMの放送確認調査」があるため、CM間引きが起こりにくいという状況があり、調査を全国に広げれば同じ抑制効果でCM間引きが少なくなるだろうという声があるが、「著作権の問題」(民放連の言い分)で実現できないとのことである(日経産業新聞、97年8月8日付)。

 この記事によれば、CMのテープは放送が終わるとスポンサに返却されるのが原則のため、(スポンサ側の指示で行うビデオ・リサーチなどの調査でないかぎり)スポンサの確認をとらないとテープが保管できず、テレビ局の自主的調査は困難である。

 筆者にすると、民放連が「著作権のせいだ」と本当に表現しているのだとすると、それは欺瞞だ。著作権法には「放送事業者は、その放送又はこれを受信して行なう有線放送を受信して、その放送に係る音又は影像を録音し、録画し、又は写真その他これに類似する方法により複製する権利を専有する」とある。一方で、CMが映画の著作物や音楽の著作物であることも明白であり、それらの著作権者も、著作物の複製の権利を有している。

 何がいいたいかというと、契約次第でなんとでもなるはずだということである。この件では、双方(著作権法では、片方の当事者はCMの著作権者であり、それがイコールスポンサとはかぎらない。もう片方は放送事業者)に著作権法に明記されたそれなりの権利があり、それがぶつかっている。ぶつかったときの優先順位は、著作権法には明記していない。とすれば、双方の契約で片付けるべき問題である。CMについては、放送のテープ撮りをしないことになっていたとしても、チェックのためのテープ撮りのみOKとすればいいだけのことである。それが、業界の力関係からいって、困難なことなのか容易なことなのかは、筆者は知らない。

 困難だからといって、「著作権のせいだ」と表現するのは欺瞞である。一般の人々は、また「著作権というやっかいな存在のために、経済活動が阻害されている」と誤解してしまう。著作権というのは、経済権であり、同時に人権である。ある者Aの財産を保全する法律は、その人から財産を収奪しようとする者Bには、障害に見える。一方、Bが自分の財産を保全しようとしたときには、その法律が味方に見えるだろう。著作権は、経済活動の基盤を守る法律の1つであって、個々の経済活動に対してはニュートラルな存在である。

 何でも著作権のせいにするのは、車のハンドルさばきが下手なのが問題なのに、センターラインやガードレールがあるからいけないと強弁するのに似ている。交通量が多いのにガードレールがないため走りやすい道があるのは事実である。だからといってガードレールがない方がまともだとは思えない。あるのが当然のガードレールやセンターライン付きの道で、対向車をかわしながら事故がないように運転するのが運転手というものである。


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